信州の鎌倉・おかちゃんの故郷

おかちゃんの生まれ育った地はその昔、昭和45年上田市に合併併合されるまでは長野県小県郡塩田町(ちいさがたぐん・しおだまち)とよばれたいた。 たしか其の頃は人口9千人ほどの町でした。 それまでは、私の記憶では我が町のことをだた「塩田」といっていただけ、あえて言えばこの塩田をさらに「西塩田」、「中塩田」、「東塩田」、そして「別所地区」と分けていました。

上田丸子電鉄の電車で通学していると、ときどき別所温泉に行くと思しき観光客が乗っていることがありましたが、概してこの地は観光とはあまり縁がなかった「ひっそりとした田舎町」だったのです。 だだ、まちの彼方此方に古めかしい神社、古墳、お寺、三重塔等々がありましたが、これに対しては当たり前のことととらえ、別にこれといって、注意も払っていませんでした。 

ところが、上田市に合併されるや、「信州の鎌倉」という言葉がたびたびマスコミ、テレビ、新聞に出るようになりました。  つまり「信州の鎌倉」と呼ばれるようになったのは比較的最近のことなのです。 

そうそう、昭和50年代の初めに我が家に帰郷すると、家の前の道を若い女性軍が群れを成して闊歩しているではないですか「すいませーん、信濃デッサン館はどう行けばいいのでしょうか?」ときかれ、びっくりしたものです。 それに、せまい道を大型の観光バスが何台となく行き来する事態となってしまいました。  いつの間にか私の生まれ故郷が「信州の一大観光地」に変身したのでした。

それから、年を追って、我が家の田んぼの隣まで宅地になってしまい、むかしののどかな田園地帯が一挙に住宅地へと変貌していきました。 どうやら、近隣の地からみると塩田の地は「住んでみたい」あこがれの所のようなのです。  いまとなっては、むかしの「のんびりとした、田園地帯、家族全員でした田植え、稲刈り」が懐かしく思いだされます。   この際、私の故郷 「信州の鎌倉」の案内もやってしまいましょう。

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平成16年1月4日 作成、  1月11日 追加変更

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